【2006年初めての海外旅行】イタリア・フランス卒業旅行記(9)パリ観光1

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新型コロナウイルス感染症により、なかなか海外旅行のことも考えられない日々です。あぁ悲しい…。

そんなとき、せめてこそ過去の旅行の写真をみて、過去の旅行を振りかえったりすると、心も安定してきます。Twitterなんかでも、過去に撮った絶景写真をあげたりしている人多いですしね。

そこで、過去の旅行を振り返るシリーズを再開したいと思います。2006年、私の初めての海外旅行の旅行記が4TRAVELにあるのですが、これを移行しつつ、今思うことなどを書くシリーズの続きをやっていたのですが一時期中断していました。この続きをつづっていきます。

今日は9日目、ミラノで欧州CLを観戦した翌日、パリへの移動からになります。当時、当然旅行記を綴るという発想がないため、あまり写真がなくて文字もほぼ当時のままにしてある面もありますが、お付き合いいただければと思います。

【過去の旅行記はこちら】

1日目(移動)/2日目(ローマ)/3日目(ローマ)/4日目(フィレンツェ移動)/5日目(ピサ)/6日目(フィレンツェ)/7日目(ベネチア)/8日目(ミラノ)

早朝にミラノからパリへ出発

この日は朝5:30にホテルを出発するという、今旅行で最もきつい朝です。

前日、サンシーロから帰ってきて、食事してから寝たので寝坊が心配だったのですが、なんとか4:30に起きて、準備完了。

この日からツアーは2つに分かれて、オプションでパリをつけた人たちはここからパリに向かい、イタリアのみで帰る人たちは午後の成田行きで帰ることになっていました。

フロント階に降りてみると、2日目にピザを届けてくれた関西の男3人などもいて結構多いなぁと思ったら、奴等は女の子の見送りだったみたい(笑)

補足
我々のグループは我が道をいっていたのですが、それなりに40人のバスツアーだと仲良くなっていたんですね。

ということで我々一行を入れて15人ほどがパリに行くみたいだ。さすがにあまり寝ていないため、空港に行くまでのバスは爆睡。

着いても体はだるく、ほとんどカフェでダラダラしていた記憶です。

ミラノ・マルペンサ空港から、アリタリア航空の飛行機にてパリのシャルル・ド・ゴール空港へと旅立ちます。

このとき、飛行機内は爆睡。もう眠いったらありゃしない。離陸前に寝落ちして、気がついたら着陸ですよ。今でいうおつゆだくだく航空です。

バゲージクレームを抜けると、女性の日本人が待っていた。

そういえば添乗員ナターシャ氏は、「マリオさんって人が来ることが多い」とか言っていたので探してみたんだが、どうやらこの方のようだ。この方はホテルに向かうバスの中で、パリに関する色々な説明をしてくれました。非常に丁寧な方で好感がもてます。

バスはシャルルドゴールから一路郊外へ。とってものどかなエリア。パリって中心部以外は本当にのどかなんだね。

ホテルは、郊外のBussy Saint George(フランス語でビュッシーサンジョルジュと読みます)にある「カンパニールホテル」というホテルで、どうやらチェーン店のホテル。日本でいう東横インみたいなものでしょうか?

立地はマジで鬼。RERという郊外鉄道で中心部から30~40分の距離にあり、駅の周りにはスーパーも含め何もありません。

部屋もなかなか狭いのだが、バスタブついてるし、何よりも部屋にポットがある。紅茶やクッキーも置いてあるようなホテルでした。

パリの中心部・ノートルダム寺院に向かう

ホテルについて荷物を置いたのち、RERに乗ってパリ市内に向かいます。RERを走るのは2階建ての電車。だが、ものすごい落書きです。ありえません。びっくりですよ。

補足
やはりRERの落書きは強烈な印象でしたね。ここまで酷いのヨーロッパではフランスくらいでは?

朝早くミラノ郊外のホテルをでたのに、パリの市街地に着いたのがすでに4時近く。まだ昼飯を食べていないので、シテ島の近くのカフェで食す。オムレツおいしかった。

その後ノートルダム大聖堂へ。塔には登らなかったものの、聖堂の中に入る(補足:2013年に上りました。怖かった)。

こいつは14世紀にできたもので、一度は放置プレイにさらされたものの、ナポレオンの戴冠式がここで行われたりしたらしい。

そういえば、パリの建築物って一度取り壊しの話があがりながら、生き残ったものが結構あるなぁ。エッフェル塔もそうだし、ベルサイユ宮殿もそうだし。

やっぱりステンドグラスは美しい。ミラノのドゥーモに昨日入れなかったので、中世のステンドグラスの美しさをここで堪能します。

特に美しくて、ノートルダム大聖堂を代表するステンドグラスが「バラの花」と呼ばれるこれです。直径は13メートルほどあり、まるで万華鏡のようになっています。

パリの中心部を散歩

パリのシンボルの一つであるノートルダム大聖堂を後にした私たちは、ここから歩いてバスティーユ広場と新オペラ座へ、途中にパリの市庁舎なども眺めながら向かいます。特に目的のない散歩です。

バスティーユは、かの有名なフランス革命が始まったところ。広場と書いてあるから、公園みたくなっているのかと思いきやそうでもない。たっているのは7月革命記念柱ですね。

まだ明るいので、ここから地下鉄を利用してオペラ座へ向かいます。

パリは地下鉄先進国。14路線もあり、これを使いこなせればパリ観光は楽勝です。全線均一で1.4ユーロ(当時)だから簡単に買えるし。が、ミラノもそうですが、自動券売機ではお札が使えない機械も多く、その場合は小銭かクレジットカードです。

オペラ座、パリの中心です。いつか中でオペラを見てみたいね。ってもどうやらオペラの多くはバスティーユで行われているそうですね。でもここで昔からオペラ座の怪人などが上映されていったわけですよ。

オペラ座は、パリを歩くときの目印の一つにもなります。周辺道路には街路樹がなく、遠くからでもオペラ座が分かるようになっているし。これはオペラ座を背にして、シテ島方面へ続く道を撮ったもの。

パリのラーメンがまずかった

さて夕食にしようということで、今日はパリにてラーメンを食すことにする。海外のにほんしょくってどんなんだろうね?という流れから決まりました。

行く途中で、「京子」というお店がある。ここは日本のカップラーメンやお菓子などを扱っている店。が、カップヌードルが3.2ユーロもしたのはちょうっとした衝撃でした。

どうやらオペラ座の南東側は、日本人街みたいなところで、日本語の看板や日本料理店が目立つ。焼肉屋もあったし、ラーメンも結構あった。

本当は「北海道」という店に入るつもりだったんだが、その手前の店「東京ラーメン」に入る。
入ると、

「いらっしゃいませ?何名様ですか?」 との声。

久々にこんな響き聞いたよ。おそらく留学している日本人アルバイトさんかな。日本を離れて9日目、何か温まるものを感じた。

とりあえず奥の席に案内される。店員も日本人の方が複数人おり、まるで日本に帰ってきた気分になる。

調子に乗って醤油ラーメンと餃子、コーラを注文。まず餃子が来る。これは日本で食べても問題なく食べれるレベル。

が、ラーメンは、マズイ!

特に麺がね。現地の人の口に合わせているのかなぁ。スープはまあなんとか飲めるってレベルですね。多分一番おいしかったのは、俺は飲んでないが日本のビールだと思う。

そんなラーメンを食べた後は、地下鉄とRERを使ってホテルに帰ったのでした。

今思うこと

パリはこのときが初めてだったんですが、のちに2010年、13年、14年、15年と合計5度もいくことになった街です。正直街はきれいではないんですが(笑)、それでもパリという街は好きですね。もう少しスリが減ってくれれば!

issy
被害に逢ったことはないのですが、やっぱり地下鉄などではかなり神経は使います。あいつはそうだな、とか。

ノートルダム大聖堂も焼けてしまったのは非常に残念ですが、あるうちに行けたことはよかったと思っています。再建するとはいえ、またちょっと違うものになってしまいますしね。

あと、パリでラーメン食べちゃダメでしょ!(笑)

実はこのあと、2010年にパリに行った際もラーメン食べたんですが、やっぱりまずかったんですよ。向こうの人の味覚にあうように作られているのかな?と思いました。

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